野田市(関宿地区)の名所旧跡
集乳の碑

内閣総理大臣を辞して、1945年(昭和20)郷里の関宿に戻った鈴木貫太郎は、農業の必要性を強く感じ、1947年(昭和22)地元の青年24人が立ち上げた農事研究会に、多くの知人を講師として派遣し、農事改良や酪農などの話をしてもらうなど、会の活動を積極的に支援しました。また自らも「築堤により、関宿の地は一戸あたりの耕作面積が小さい。堤防を上手に使って牧草の種子を播き、乳牛を飼うべきだ」と説きました。共感する人は次第に増えていきましたが、酪農組合が出来たのは、残念ながら貫太郎が他界した翌年のことでした。最初に鈴木邸の建物に設けられた集乳所はだんだんと手狭になり、1954年(昭和29)酪農組合は現在の鈴木貫太郎記念館駐車場に大きな集乳所を新設しました。この新設を記念して建てられた碑が「集乳の碑」で、鈴木貫太郎記念館駐車場の一角にあります。
(野田市関宿町)